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まずはデータから
・タイトル まちぶせ
・アーティスト 石川ひとみ
・リリース日 1981年4月21日
・発売元 キャニオン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 39.7万枚
いやいや、8月ももう終わりですねえ・・。こう振り返ってて8月中に紹介しなくちゃいけない曲ってなかったっけ?
・・・と思い巡らせておりましたら、ありましたよ。この曲、石川ひとみの「まちぶせ」。
たしかに81年夏のヒットではあるんだけど、9月ってイメージでもないもんなぁ・・、ということで、今日のうちに紹介しとこうと思い、引っ張ってきたわけです。
カバーブーム。いまだに結構周期的にカバーブームって来るようだけど、このころからなのかなぁ、いわいるムコウの曲のカバーではなくて、日本の過去のヒット曲をカバーし始めたのって。
もちろん、それまでも点々とはあったけどね。例えば、安西マリアの「涙の太陽」とか・・。これは、原曲は「エミージャクソン」なんだけどね。・・・え? ガイジンじゃんかって?
いえいえ、これはねー、昔はレコード会社の専属作家しか邦楽レーベルからはレコードリリースが出来なかったんで、苦肉の策として、日本人を無理やりガイジンにしたてて、洋楽レーベルからリリースした曲なの。
だから、作詞、作曲は日本人だし・・。ちなみに作詞は湯川れい子女史ですわ。
いやいや、話が脱線した・・・。で、この「まちぶせ」は、76年に三木聖子っていうヒトがオリジナルで歌った曲のカバーなんですよね。
まあ、カラクリとしては、三木聖子も石川ひとみも同じ、キャニオン所属で、おなじナベプロだったからってことで・・、
当時、石川ひとみって売れなくて苦しんでたからねぇ。
これも、やけくその苦肉の策に近かったんじゃないかなぁ。
なんせ、78年にデビュー以来、曲はだせど、売れなかったアイドルだったからなぁ。石川ひとみって。
唄は抜群にうまかったんだけどね。声もチャーミングだったし・・。だから、「アイドル」としての素質は持っていたんだけど、時代はニューミュージックブームだったんだよね。
すでに70年代「アイドル」は時代遅れだったからなぁ。不運なヒトだったともいえますね。
そういう、「日陰」なところが逆に「どうにかしたい」っていうファン心理を呼んだんですかねぇ、とうじオリコンウイークリー紙上では、「石川ひとみ」をなんとかしたい論争がおきてましたね。 まあ、次元がひくっちゃひくいんだけどさ。
当時、私は、最初、どこでこの曲聴いたんだろ? 記憶をたどっていくと、多分リリース直後、ゴールデンウイークくらいの「クイズ ドレミファドン」だったと思う。当時、石川ひとみって「ドレミファドン」のアシスタントだったんだよね。
それで、番組で歌ってたのをよく見た記憶がある。
でねー、この曲、ヒットするだろうな・・っていう確信というよりも、ヒットしないかなぁっていう願望の方が大きかったんだよね。最初は・・。
ヒットするとは、ワシも思ってなかったんだけど、曲の印象は良かっなぁ。最初、ひっかかりは少なかったんだけど、イントロだけは印象に残った記憶があるなぁ。
それと、サビまでのAメロの部分かなぁ。この2箇所は印象に残った。
ともあれ、何回か聴いてるうちに全体的に気に入った記憶があるなぁ。
でも、最初はなかずとばずでさぁ。ヒットする気配も無かったな。
それが、7月ごろ急に空気が変わったんだよね。これ、原因はなんだったんだろ? 急に来たよね。
でも、ともあれ、「ザ ベストテン」にランクインも果たし、念願だった暮れの紅白歌合戦にも出場を果たす・・。
でも、ファン心理としては、これですべて願望が叶っちゃったようなんだよね。魔法が解けたっていうのかなぁ。
シンデレラを地で行くようだけど、82年1月1日、除夜の鐘とともに元の「石川ひとみ」に戻っちゃったんだよね。。。
・・つまり、もとのなかずとばずの・・ってやつですね。
いらい、全くヒットにも恵まれず、その後の人生も波乱万丈ですもんね。
しかし、ほんと、今思うと、あの半年間の出来事はなんだったんだろ?
この曲を聴くたび、不思議な気持ちになるよなぁ。
さすがにユーミンの曲。ただでは転ばない仕掛けになっているんのかなぁ。
だけど、96年に自分でカバーしちゃったときは気持ち悪かったねぇ(^^;;;;;;;;
ともあれ、これが起爆剤になって、81年~82年にかけて、アイドル界ではカバーブームが引きおこったわけね。
代表的なのは柏原よしえ「ハローグッパイ」(オリジナル讃岐裕子)かな。そのほかにもいろいろでたよね。
それらにかんしては、また、いずれ・・。