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今日のオススメの1曲は、オリジナルバージョンの「乾杯」(長渕剛)です。
まずはデータから
・タイトル 乾杯
・アーティスト 長渕剛
・リリース日 1980年9月1日
・発売元 東芝EMI
・オリコン最高位 1位(アルバムチャート)
・売り上げ枚数 29.8万枚
まず、お断りしなきゃいけないのは、今回、メインでご紹介するのは、「オリジナル」バージョンの方で、のちにシングルになったニューバージョンの方ではないので、ご了解くだされ。
うーん、多分、こういう下りを入れないと、これ読んでる大多数の方が「ニューバージョン」の方を想像しちゃうだろうからねぇ。
この曲は、どこで知ったんだろう? ・・・と考えてたんだけど、どうもはっきり覚えてないんだよね。
この曲がリリースされたのは80年9月。 まだ、シングル「順子」が大ヒットしているさなか、アルバムのタイトル曲としてリリースされたんだよね。
またまた、注釈が必要なんだけど、最近の長渕しか知らない・・っていう方は、全く想像がつかないかもしれませんが、もともとはフォークシンガーなんだよね。長渕って。
ホント今では信じられないけど、細くってナヨナヨってした感じのシンガーだったのだよね。
もちろん、アコギが中心で、このアルバム「乾杯」にも、アコギ1本の曲が何曲もあるのね。
いわいるフォークロックっていう感じのエレキ使っている曲もあるけど、大体がアコギの弾き語りの曲なんだ。
とはいえ、曲の内容は結構骨太の曲が多いんだよね。そうかと思うと、純粋なラブソングもあったり、その辺は、最近の長渕には全く見られなくなったところかなぁ。
その最たる曲が「乾杯」ですね。アルバムのラストに据えられ、「人間の証明」を彷彿させるピアノのイントロから始まり、壮大なオーケストレーションで締めくくるアレンジがまたよい!
「ニューバージョン」のようなシンセ類は一切なし。すべて生楽器でのアレンジ。だけど、逆にぐっと心に刺さるものがあるんだよね。
長渕のボーカルもめちゃくちゃ素直。ニューバージョンのようなクセのある歌い方は一切なし。ストレートにせつせつと訴えかける歌い方がものすごく好感が持てるんだよね。
そうだ、思い出した。 この曲、高校の文化祭のラストでみんなで合唱したんだ。たぶん、それがこの曲聴いた最初だと思う。。。。 だから、俺、かなり遅いな。はじめて聴いたの。
でも、単純に感動しちゃったんだよねぇ。その影響もあって、このLPを買ったような気がする。
だから、88年2月に、この曲シングルとしてリリースするって分かったときは、素直にうれしかったねぇ。ただ、アレンジ違いだったのはガッカリしたけどね。
個人的には、だれがなんと言おうと、オリジナルバージョンのほうなんだよなぁ。
だけど、最初にこの頃の長渕は、細くてナヨっとしたフォークシンガーって書いたけど、骨は太かったよね。
やっぱり「ザ・ベストテン」に「順子」で初登場のときの場面が強烈だったからなぁ。
覚えてますかね、合歓の里からの中継。後ろの観客の「手拍子」がうるさいっていって、一旦演奏とめちゃったの。
生放送、視聴率30%を超えてる番組内で、平然とああいうことやるんだから、なんか、とてつもないヒトが出てきたなぁ・・・と単純に感動した記憶がありますよ。
で、2001年のベストテン特番で、「ベストテンの思い出の名場面は?」の場面紹介依頼が来たんで(自分のサイトの板でも協力しましたよね~。ベストテン館のスポット出演リストは、そのときTBSの番組製作会社に提出した資料の名残です)、この場面をイノイチバンに書いて送ってやったけど、使われなかったな。。。。。
ダメだしでも出たんでしょうか? でも、やっぱりもう一度みたいね。この場面。
しかし、このヒトほど変わっちゃったアーティストも居ないよね。 今のマッチョな体つき、あの頃はだれが想像したでしょうかね。。。。 人間変われば変わるもんだよね。。。。
・タイトル ぼくたちだけの天国
・アーティスト BAKU
・リリース日 1992年7月29日
・発売元 ポリスター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 7.8万枚
このあいだ、ジッタリンジンの「サヨナラ」を紹介したけど、1992年の夏の終わり頃、ずっと気になっていた曲がもう1曲あるんだよね。それが、この「ぼくたちだけの天国」なのです。
実際は、もうちょっと時期は前なんだけど、曲調がいかにも「夏の終わり」を象徴するような、ちょっとさびしめのフォークタッチの曲だったじゃん。
それもそのはず、これは、BAKUにとって最後の曲だったんだよね。
そもそも、BAKUっていうグループをご存知でしょうかね。もともとはホコテンでやってた3人組バンド。 メンバーは、G:車谷浩司 B:谷口宗一 Dr :加藤英幸 (オリジナルメンバー B:阿部浩之 ただ、途中で亡くなったんだよね。1991年 享年19歳)
個人的には、BAKUって好きなグループぢゃなかったんだよね。 いまだから言えるけどさ。知ったのは例の「ぞうきん」(1991年)ですよ。なんだ、このフザケタ曲は? ってのが、第一印象。♪ぞうきん ぞうきん♪でしょ。なんだよ、ただの文化祭バンドじゃねーか、としか思わなかったんだよね。第一、当時はホコテン出身のバンドが好きじゃなかったんだよ。全般的に。なんかね安っぽくてねー。。。
それからもずっとシカトしてたわけさ。
でも、この曲だけは別なんだよね。 これはいい曲ですよ。
はじめは、どうせいつもの曲調だろう・・とタカをくくってたんだけど、イントロからしてカウンターを食らった感じがしたな。
めっちゃ簡単なメロディなんだけど、メロディがあたまから離れないんだよね。それだけ印象深いって言うかね。
当時、個人的にはいろんなこと考えてたんだよね。ちょうど大学3年の夏の終わり、なんかやたらと将来のこと考えてたりしてた時期があった。
まず第一に何の仕事に就けるのかっていうのと、それ本当にやりたいのか・・っていう自問自答。これずっと考えてたな・・。 兎に角、不安だったのだけは確か。
なにせ、当時は毎日、国会図書館に入り浸って、自分のサイトに公開してるランキング作成に没頭する日々でさ。大学なんてロクに行ってなかったもん。
ま、理系だったから実験があるときは行ってたけど・・・。なんせ実験は必修の上に授業でないと単位くれないし、実験の単位とらないと卒業出来なかったかんね。ただ、それだけの理由。
だいたい、理系に行ったのだって、たんに「営業マン」になりたくなかったからなんだよね、本音いうと。
もっというと、サラリーマンにもなりたくなかったんだよなぁ。理系だったら、あわよくば研究室に閉じこもればいいか・・みたいな考えでいったから・・。だから、興味があったわけではないんだよね。
そんな考えだったから、まともに就職できるか不安でさ・・。正直、社会人になる自信もなかったしね。あ、それは、今もないか。。。。
そんな頃、頭ん中で、ずっと流れてたのがこの曲なんだなぁ。 ヒトってさ、いろいろあるじゃん、あのつらい時、不安な時に頭の中で流れてたのはあの曲だったとか、逆に楽しいときはこれ聴いてたとかさ。
それが、ワシの場合はコノ曲だったんだよねぇ。
だけど、今の心境もあの頃に近い気がする。先行き不安なんだよね。このままでいいのかっていう不安感が最近、富に渦巻いてるし。心が晴れないっつうかね。 やりたいことをやるって事で前の会社飛び出したわけだけど、ホントにやりたいことやってるのかなっていう疑心感とかね。いろいろ考えるところはあるんだよね。
そういう時は、やっぱりこの曲を聴きたくなるわけなんだよなぁ。
今回は、個人的に聴きたい曲を持ってきたって感じだねぇ。 ちょっと申し訳なかったかな。
ども。 今日のオススメの1曲は「悲しみ2ヤング」(田原俊彦)です。
まずはデータから
・タイトル 悲しみ2ヤング
・アーティスト 田原俊彦
・リリース日 1981年9月2日
・発売元 キャニオン
・オリコン最高位 2位
・セールス枚数 38.0万枚
いままで、女性アイドルは何回か書いてきたけど、男性アイドルは、全然無かったかんね。これからはちょくちょく書いていきたいな。その一番手としては、やっぱ、ワシらの年代ではトシちゃん置いて他になしって感じだよね。マッチもそうなんだけど、やっぱ、80年代アイドルの一番手としたら、このヒトをおいて他になしなわけですよ。
兎に角、あのころのファンの結束は凄まじかったからねぇ。あのころ、月刊「明星」とか「平凡」とかの人気投票では、いつも1位。付録のヤンソンでも、84年にチェッカーズに抜かれるまで3年以上毎月1位だったもんねぇ。まあ、それだけ強力な「固定ファン」がいたって訳ですよね。
でも、あの頃のトシちゃんの曲は、かなりいろいろ言われたよなぁ。もともと「歌唱力」がない上に、一見、上辺っつらだけって感じの軽い曲ばっかだったでしょ? デビュー曲の「哀愁でいと」以外はさ。
マッチが対照的に「硬派」路線を位行ってたからねぇ、余計、批判の的になってたりしてね。
最たるものは、一つ前の曲「キミに決定!」(81年7月1日リリース 最高位2位)かなぁ。当時は、オイオイって感じだったもんね。20才のオトコが歌う曲かよ・・・っつう批判が多かったよなぁ。
まあ、その影響もあってか、「浮動票」にはほとんど刺さらなかったわけで、デビュー以来最低セールスの33.8万枚止まり。 その前の「ブギ浮ぎI LOVE YOU」(81年4月5日リリース 最高位2位)が48.7万枚セールスだったことを考えると、一気に下がったんだよね。
さすがに、これみて、スタッフもあわてたんだろうねぇ・・・、「悲しみ2ヤング」は、もとのナイーブだけではなく、ちょっと硬派をブレンドした本来のトシちゃん・・という路線に戻ったんだよね。
いや、一番確実な曲調に戻したって行ったほうがいいのかなぁ。
このあわてぶり、リリース間隔でも分かるよなぁ・・・。「キミに決定」が7月1日で、「悲しみ2ヤング」がわずか中2ヶ月の9月2日だもなぁ。。 当時は3ヶ月ローテーションリリースっていうのが普通なリリースの仕方で、だから、本来なら、7月の次は10月リリースって言うのが通常なんですよ。
で、本当に10月にリリースするんですけどね。・・・「グッドラックLOVE」(81年10月16日リリース 最高位3位)
・・・ということは、本来は「キミに決定」⇒「グットラックLOVE」っていうのが、通常リリースローテーションなわけ。
それが、わざわざ9月に1枚かました・・・っていうのは、やっぱり「緊急の路線変更」ってことなんだろうなぁ。逆に考えると、もし、「キミに決定!」が45万枚クラスのヒットパターンになっていたら、果たして、この曲が表に出ていたのか? 御蔵入りになってたんじゃないか? っていうことも考えられるよねぇ。
まあ、逆に、「キミに決定!」は、本当に実験で、すでにこの時点で売れなかったら、「悲しみ2ヤング」を出すっていう青写真が出来てたのかもしれないけど、でも、今になって思えば、この成り行きに感謝したいなぁ・・・。
っていうのも、この「悲しみ2ヤング」なかなかの佳曲なんだよなぁ。 トシちゃん本来のナイーブさが充分引き出されてるっていうか、やっと当時の等身大の田原俊彦が出せたんじゃないかって思える曲なんだよね。こんな曲がオクラ入りじゃ、ちょっと哀しいもんね。
出だしの♪こんなはずじゃ~♪の不安定な歌い方からして引き込まれるじゃん。 いや、ワシは引き込まれた。
それまでのトシちゃんの曲って、当時のワシでさえ、ちょっと買うの引いてたんだよね。マッチは買ってたけど。でも、この曲は直ぐレコード買ったもんねぇ。
全体的にアイドル歌謡というよりは、ニューミッジックっぽくしたのが、よかったんだろうね。メロディと泰旋律的に入ってくるトランペットも「哀愁」ただよっててまた、いいのよ。
間奏に挟まるセリフ♪Oh Baby I Can't say good-bye~♪ではさまるドランペットなんて、哀愁があっていいじゃんいいじゃん。 あ、ワシ、この部分だけでレコード買ったっていっても過言じゃないですよ。
いい加減なレコードの買い方かも知れんけど、ワシ、意外とそういう感じでかっちゃったレコード多いんだよなぁ。曲の一部に引き込まれて買っちゃったっていうの。
しかし、この曲の作詞 作曲の網倉一也氏は、当時、本当にいい曲書いていましたよねぇ。なんつうか、独特の哀愁感があるんですよね。このヒトの作品って。なかなか言葉で表現するのって難しいけど、筒美京平氏のような洋楽にタッチした哀愁感でも、演歌のような「和風」どっぷり「石狩挽歌」のようなめっちゃ暗い哀愁感でもない、当時のティーンエイジャーの一番共感を得られそうな、ほどよい哀愁感っつうのか温度感っつうのかなぁ。
特によかったのは、「マイレディー」(79年9月リリース)や「Howmanyいい顔」(80年8月リリース)の一連の郷ひろみ作品だよね。
トシちゃんものは、これとはちょっと切り口があったと思うんだけど、この「悲しみ2ヤング」から次の年の「誘惑スレスレ」(82年10月リリース)を経て、「ピエロ」(83年2月リリース)で完結するって流れですね。
その間でトシの成長も見られるってかんじかなぁ。最後の「ピエロ」なんて、ほとんど郷ひろみ作品と変わんないもんね。曲内容のレベル的にはさ。
最終的には、84年の「顔に書いた恋愛小説」で終結。この曲もよかったよねぇ。♪時間よとまれ♪でほんとに音が途切れて時間が止まるの。。。斬新なアイデアでしたね。
蛇足だけど、この曲って、グリコアーモンドチョコレートのCM曲じゃなかったかなぁ・・。
あ、やっぱり、グリコアーモンドチョコレートのCM曲でした。
データ
・タイトル 銀河鉄道999
・アーティスト ゴダイゴ
・リリース日 1979年7月1日
・発売元 コロムビア
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 66.6万枚
ここ1ヶ月ばかし、今日のオススメの1曲という感じで書いてきましたが、もしかすると、初めて「まとも」なヒット曲を書くのかもしれないなぁ(^^;;;;
まともなっていうのは、売上げ50万枚以上、ランクでベスト3以上ってことなんだけど・・。
でも、この時期、この曲はどうしても避けて通れない1曲のような気がするんだよね。もちろん、長年ヒット曲聴き続けて来た、個人的な流れの中だけのことではあるけど・・・。
この曲っていろいろな意味で衝撃的だったんだよねぇ。曲自体のインパクト、それから映画とはいえど、アニメでオリジナル楽曲ではなく、ニューミュージックの曲を使用されたってこと、それからやっぱしいろいろなブームを引きおこしたことだよね。
「銀河鉄道999」ブームを引き起こしたのはもちろんのこと、にわかに鉄道ブーム、とりわけブルートレインなんか、すごい人気だったもんねぇ。今じゃ、全く考えられないけど、この年の東京駅の長距離列車専用ホーム(当時の11 12番線ホーム 今は東北上越新幹線ホームになっちゃってます)は、ブルートレインを写真に撮ろうっつう、小中学生でいっぱいだったんだよね。 これも、一つは銀河鉄道999の影響もあったわけでね。
もう一つは、このあいだ八神純子「ポーラースター」の時も書いたけど、天体ブームね。
銀河鉄道999の終着駅はアンドロダ星雲・・・っつう実際の具体的な天体を指してたしねぇ ちなみに、アンドロメダ星雲は、今頃の季節が一番観測しやすい位置に来るんだよね。めちゃくちゃタイムリーなんだよね。
まさか、そういうところまで、計算にいれたのかなぁ。
最初に戻るけど、アニメに「ニューミュージック」が使われること。これは、かなりの冒険だったと思う。
確かに前の年、1978年夏公開の「さらば宇宙戦艦ヤマト」では、沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」っつう、いわば、一般のヒット曲を主題歌としてタイアップにつけたんんで、「一般のヒット曲」っていう意味では、初めてではないんだけどね。まあ、この分野は、角川映画がパイオニアで、「人間の証明」(ジョー山中 1977年)がオリコン2位まで行く実績を残していますしね。
ただ、アニメでは、この松本零士組作品が、パイオニアになるわけだよね。でも、これって、この映画はあくまで「子供映画」ではないってことのメッセージだよね。
つまいりぃ、それまでのアニメ映画って、完全に子供向けだったぢゃない? まあよくて中学生までとか、
それを一気に高校生を含めたティーンエイジャー全体、はたまた、20代まで見てくださいよ、アニメは子供だけのものぢゃないよ・・っていうメッセージが込められてるんだよね。
どうじにニューミュージックっていうジャンル、とりわけロックっていうジャンルが完全に「お茶の間」に浸透した瞬間だったんじゃないかなぁ。
もちろん、商業的に完全にのっかっちったっていう部分で反発的な方もいらっしゃったと思うけどね。日本のロック界の歴史って「反体制」がキーワードだから・・・。
でも、曲がいい⇒まずは曲ありき、みんなで共有できる っていう曲ならどんどん売り出すべきなんだよね。
それが商業主義であってもさ。
あー、話が堅くなった。肝心な曲なんだけど、これは、もう絶賛だったなあ。ミッキー吉野の自由奔放なキーボード&シンセとトミーシュナイダーのドラムがカッコよくってねー。
当時は、断然 レコードよりTVの方がカッコよかったんだよねぇ。今じゃ、考えられないけどさ。 例えば「ベストテン」なんて、当時は「生」ジャン。演奏も「生」が多かったのよ。もちろん、カラオケっつうのは昔からあったけど、まだ、一般的ではなかったからね。
で、きまって、レコードより派手なんだ。アレンジが、それがきまっててかっこいいのよ。
この曲なんかも、レコードでは、ミッキー吉野のキーボードは押さえ気味、変にまとまっちゃった感じで、ちょっとガッカリなんだけど、ベストテンの時の演奏は、ブットンでたもんなぁ。
あ、これは、ツイストの「燃えろいい女」もそう。正直、これも、あとでレコード聴いたんだけど、ガッカリだったもん。ベストテンのときのあのカッコよさはどこ? って感じだったな。
まだ、レコーディング技術が生の迫力を伝えることが出来なかったんだと思うけど、当時はレコードは小さくまとまっちゃうって感じなのよね。
しかし、当時は、御三家になぞられて、ロックBIG3なんていわれ方してましたよね。実力のゴダイゴ、ワイルドなツイスト、コミックのサザンオールスターズ・・・そんな感じだったよね。
今じゃ、信じられないけど、サザンって、当時はまだ、コミックバンドの印象が残ってた頃なんだよね。
「いとしのエリー」はすでに出てたけどさ。本当の実力が開花してきたのは、ニューミュージックブームが去り、ゴダイゴ、ツイストが相次いで解散した頃だよね。 そういう意味では、あの頃のサザンは「能あるタカ爪を隠す」だっのかなぁ。コミック的なポジションで居ることで、一番、周りが見えたのかもしれない。
「実力」とか言われちゃうと、その時はいいけど、それを維持していくって言うのは、本当の能力がないと難しいもんね。結果的にだんだん視野が狭くなるっていうかさ。
そういういみで「バカ」でいたほうが周りが見えやすかったのかもしれない。1979年末からサザンってしばらく休みに入っちゃうのよ。レコーディング以外は一切の活動せずって感じでさ。それは、周りが見えた証拠かもしれない。あのあと、同じスタンスでつづけたゴダイゴ、ツイストが下降気味になっちゃったのを考えるとサザンの動きって今考えると冷静だったなと思いますよ。
ちなみに、上でサザンのことが出てきたからランキング的なことも書いておこうと思うんですが、ゴダイゴってオリコン史上でも、「悲劇」なアーティストによく出されるよねぇ。
えーと、なぜかっつうと、2位まで行った曲が4曲も出しながら、オリコンでは1位を1回も取れなかったってことですね。特に79年は、悲惨・・・というかね。
・ガンダーラ(78年10月1日リリース)
2位 ⇒ 78年12月25日 79年1月1日 1月8日
(1位阻止 カメレオンアーミー ピンクレディ)
79年1月29日 2月5日 2月12日
(1位阻止 チャンピオン アリス)
・モンキーマジック(78年12月25日リリース)
2位 ⇒ 79年2月19日
(1位阻止 チャンピオン アリス)
79年3月5日
(1位阻止 HERO~ヒーローになる時それは今
甲斐バンド)
・ビューティフルネーム(79年4月1日リリース)
2位 ⇒ 79年5月14日 5月21日 5月28日
(1位阻止 魅せられて ジュディオング)
・銀河鉄道999(79年7月1日リリース)
2位 ⇒ 79年8月20日 8月27日 9月3日 9月10日
(1位阻止 関白宣言 さだまさし)
兎に角、2位が多かったのよね。79年だけで14週も2位を獲得しながら、1回も1位獲得ならず。。。
まあ、それだけ、当時のヒットチャートっていうのは、層が厚かったわけで、1位獲得っいうのは、大変なことだったんですよね。まあ、曲見ても分かるように、1位獲得曲はいずれも、今でもエバーグリーン、だけでも知ってる曲ばっかりですけどね。
当然、最近のように、1位譲り合いなんてなし!! みんな真剣勝負の世界だったわけです。
こういう時代に戻したいですねぇ~。 って書くと、必ず、ムリって答えが返ってくるんだけど、何とかしたいです。
ちなみにちなみに、「ガンダーラ」最高2位にもかかわらず、1位阻止された、「カメレオンアーミー」、「チャンピオン」いずれよりもセールスは上です。
「ガンダーラ」⇒88.8万枚
「チャンピオン」⇒78.0万枚
「カメレオンアーミー」⇒70.8万枚
チャートの「あや」でもあるんですが、ヒット規模は、ランキングの上下だけでは、必ずしも決まらないって事ですね。ロングセラーっていうのも一つの指標になる・・そのことを端的に表した結果ですね
今日のオススメの1曲は、「サヨナラ」(JITTERIN' JINN)です。
まずは、データから
・タイトル サヨナラ
・アーティスト JITTERIN' JINN
・リリース日 1992年8月19日
・発売元 東芝EMI
・オリコン最高位 19位
・セールス枚数 9.0万枚
うーん、どうも、昨日のカキコは、みなさんには受けいれなれなかったようで・・(^^;;;;
ちょっと、曲がまともすぎたかなぁ・・・。ということで、今日はアバンギャルドで行きましょう!(意味不明)というのと、やっぱ、ちょっとたまには新し目の曲も紹介しないと、20代以下の方は不満だよね・・・っつうことで、新しい曲を持ってきました! 1992年の曲ですよー! どうです、新しいでしょう!? ・・・・・、うーん、あくまで、私の中の人生尺度では、新しいんだけどね。。。1992年?、昨日じゃん!
・・・やめましょう・・・こういうことは・・。
ということで、新し目の曲でも、まともな曲は持って来ませんよん(^^;;;;
JITTERIN' JINN。覚えてる方も多いでしょうが、奈良出身の4人組のバンドですね。
メンバーは、Vo:春川玲子 G:破矢ジンタ B:浦田松蔵 Dr:入江美由紀 ですね。
1989年に例のTBS系「いかすバンド天国」、通称「イカ天」でグランドチャンピオンに輝き、89年10月シングル「エヴリディ」でデビュー。いきなりオリコン9位。 翌年の「にちようび」(90年6月21日リリース 31.9万枚セールス)では、1位獲得と、数ある当時のイカ天出身バンドとしては、めちゃめちゃ売れたバンドの一つですね。
ちなみに、Whiteberryの「夏祭り」は、「にちようび」の次に立て続けにリリースしたシングル(90年8月29日リリース 最高3位 15.5万枚)で、これもヒットでしたね。
ただね、この辺から、ちょっと迷走が始まるんだよね。もともとインディーズのりのバンドだかんね。やっぱ、メジャーの水ってのは、あんまりあわなかったのかねぇ?
「夏祭り」のあとは、91年「帰っておいで」というシングルを出したあと、活動休止しちゃうんだよね。
その後は消息不明、1年間釣り三昧の日々を送ってたらしいけど、約1年半の充電期間の後にリリースしたのが、この「サヨナラ」っつうわけ。 このときはレコード会社もコロムビアから東芝EMIへ移籍して、さてさて、再度、これからって感じはしたんだよね。一時は。。。
でも、このシングルのあと、1枚のシングル(ベスト100位にも入らず)をリリースして、表舞台から消えちゃった・・。
タイトルが「サヨナラ」だけに、ホントに「さよなら」したかったわけではあるまいに・・・。
ちなみに1992年8月19日リリース。私の23歳の誕生日にリリースぢゃ!(^^;;;; あやや、すでに13年も前の話かいな!?
とまあ、かなり、マイペースな活動を続けたバンドではあったよね。
しかし、少し前のスカパンクってのは、ここから始まったっ感じだよね。このヒトたちのスカってのが、多分、日本のヒットチャート上、メジャーとなったのは最初だとおもう。
ある意味、今の音楽に通ずるパイオニアの部分も持っていると思うんだよね。
うーん、最近のスカは、スカパラダイスにしても、PE'Zにしても、もっと泥臭いところがあるんだけど、このヒトたちは、スカッとしているというか、もっと音の歯切れがすごくいいんだよね。その辺は、ちょっとロックよりというよりは、ポップスのノリに近いってところは、若干ちがうけど。
その大元になっているのは、入江嬢のドラムにあると思うのよ。このヒトのドラムは、特徴的で、手首のスナップを利かせた、めちゃくちゃ歯切れのいいドラムなんだよね。
これ、普通のヒトでは、なかなかマネできないと思う。
特にスネアのスナップを利かせ方は、このヒトならではと言う感じでしたねぇ。うーん、ちよっと鼓笛隊的な感じもあったと思うな。
基本は、スカと60年代ポップスの融合・・・ミクスチャーって感じなんだけど、この「サヨナラ」は、特に60年代の香りがつよい曲でしたねェ。
元曲、なんかになてるんだよなぁ・・・えーとなんだったけな。ベンチャーズでこんな曲なかったっけなぁ?
うん、兎に角ベンチャーズサウンドだよね。
個人的には、もっとがんばって欲しいグループでしたねぇ。ちょっと惜しいな。
ちなみに、この曲、TBS系「キライじゃないぜ」っていうドラマの主題歌・・と私の記録ノートには書いてあるんだけど、こんなドラマあったっけ?? すっかり忘れてマス(^^;;;;;
えー、しばらくは、新しめの曲と今までの路線と交互に続けて行きたいと思います。お楽しみに!